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2012年2月10日金曜日

司馬遼太郎 オランダ紀行

台湾紀行を読み終わり 今 通勤電車で

司馬遼太郎先生のオランダ紀行を読み始めました。

この本ではオランダは ドイツを流れるライン川が運んできた土砂によりできた 

海面より低い低地の1部のホーラント州からきた通称で

昔 日本に来ていたポルトガル人がオランダとなまった

ことによると書かれていました。 正式名称はネーデルランド王国。

人種の事 歴史の事も書かれていますので 勉強になりおもしろい内容です。


オランダは 一度 出張で ドイツからアウトバンを走り

訪問したことがあります。  ドイツとオランダの国境は 高速道路の

料金所みたいでしたが、何も検問はありませんでした。

オランダの客先の社長は 一本1000円ぐらいする葉巻を

ぱかぱか吸っていました。 確か オランダではパリファナも

許可されていました。


夜の6時頃まで 客先で仕事をし その後 客先のオランダ人の社長夫婦と

ドイツ人、ペルギー人の代理店と食事に行き 

夜10時頃 レストランを出た時 まだ 昼間の様に明るかったです。 

夜になっても太陽が沈まない白夜(びゃくや)を初めて経験しました。


休みの日に 同行した日本のメーカーの社長とバスツアーに参加して

アンネフランクの家を見学しました。

アンネの家の付近で バスを降り その付近を散策していました。

その時 ジャンバーとお土産をバスに置いていました。

ところが そこから 船に乗って川を下る様になっており

我々の乗っていたバスは 反対方向のバスの車庫に走っていきました。

その事を バスの中でドイツ語、フランス語、オランダ語、英語で

案内したと言っていましたが、 早口で 聞き取りできませんでしたので、

その事は 全然知りませんでした。 韓国人3人も同じバスに乗っており

彼らも 荷物をバスに置いたままだと言っていました。

川を下った後 ホテルまで他のバスが送ってくれる予定になっており、

他の乗客を降ろした後 親切な運転手さんが 洗車するのを待っていてくれたら

車庫まで バスツアー サービスしたると言ってくれ ホテルまで1時間余分に

走ってくれました。


オランダ人で思い出しましたが 中近東のバーレンに半年 出張していた時

毎週 休みの金曜日に 王様ビーチで ウインドサーフィンを

教えてくれていたのがオランダ人の Mr. ヤコブでした。

巻きタバコの作り方も教えてくれました。

この本でも書いていましたが、ヨットを発明したのは オランダ人でした。

オランダでは 結婚式は協会でなく 市役所であげ 市長が立会人になるのが

普通だそうです。


また 日本ではフランダースの犬は アニメになり 有名ですが、

実は イギリスの人女性が作家で ベルギーのフランダース地方が 

この物語の舞台ですが ヨーロッパでは 殆ど知られていない理由等も

詳しく書かれており 興味深く おもしろかったです。


司馬遼太郎先生の本には 絵、スケッチ、写真がところどころ差し込まれていますが、

これが実に良いです。








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2012年1月24日火曜日

司馬遼太郎 台湾紀行 蔡焜燦 地震 檳榔(ビンロウ) パチンコ

今 通勤電車の中で司馬遼太郎(1996年2月12日 満72歳で死去)

街道をゆく 40  台湾紀行 を読んでます。

阪神大震災の年1995年1月17日の翌月2月22日に

台湾の台北にある新竹シリコンバレーの電子会社へ出張に行きました。

台北のビルの8階で現地の会社の人達と昼食を食べていた時

台湾で地震が発生し揺れ 1ヶ月前の阪神大震災が

頭の中に浮かび とても恐怖心にかられたことがあります。

その台湾紀行の中に 老台北 (ラオタイペイ)即ち蔡焜燦(さいこんさん)、

台湾の台中、清水生まれ 十以上の会社の責任者で

台湾の新竹シリコンバレーに電子会社も持っている剣道の有段者のことが

書かれています。

ちょうど我々がその電子会社を訪問した時 会議が終了して

でできたそこの会長が蔡焜燦(さいこんさん)でした。


流暢な日本語で 日本から来たのか? 司馬遼太郎氏を知っているか?

日本へ帰国した時 この電話番号に電話をかけ(司馬遼太郎宅の

電話番号)、台北で蔡焜燦に会って 司馬先生に宜しくと

言っていたと電話してほしいと頼まれました。

帰国後その電話番号に電話しましたが、先生は不在でしたので、お手伝いさんに

その事を伝言お願いしました。

台湾紀行では蔡焜燦(さいこんさん)と奥様のことが度々登場しています。

その時蔡焜燦(さいこんさん)からもらった名刺が下記です。







また この本で檳榔(ビンロウ)の事も書いていました。 私が数回台湾に出張した時

現地の重量屋さんや作業者がこの檳榔(ビンロウ)を食べていました。

檳榔(ビンロウ)とは檳榔(ビンロウ)と言うヤシ科の植物ですが、その実を

葉に包んだものを噛むと赤いつばがでます。 それをしがんでから吐き出します。

1種のドラッグのようなもので 肉体労働者は食べていましたが、事務所の人達は

だれも食べていませんでした。 10個が1箱で売られていました。

ちょっと怪しげなミニスカートのおねーさんが道路際で売っていました。  

台北は規制が厳しく 見かけませんでしたが、台中から南の道路沿いで売られていました。

現場の作業者から勧められ 1個食べた事がありますが、口の中が真っ赤になり 

とても苦くまずかったです。

話は変わりますが、台湾にもパチンコ屋さんがあります。 

台北は規制が厳しく パチンコ屋さんもありませんが、台中にありました。

出張で泊まっていたホテルの近くにパチンコ屋さんがありました。

同行していた日本のメーカーの社長がぱちキチで台湾でパチンコ屋へ

一緒に行ったことがあります。

パチンコ台は日本の中古機です。  以前私も仕事で 日本からパチンコ台の中古機を

輸出したことがありますが、ちょうどその頃 現地で パチンコ台の中古は

輸入禁止になったところで 輸入許可がおりず 現地の港で処分したことがあります。

台湾のパチンコ屋では パチンコ台にコインで固定して 1人が数台の機械を打っていました。

その社長は日本円で1万程負けていましたが、私はフィーバーにかかり どんどん玉が

でましたが、どうして換金するのか分かりませんでした。 

店員に聞いても 日本語、英語は良く伝わらず 10分待ってくれと言われ

打ちながら待っていましたが、一向に換金しようとしませんでしたので、店長を呼んでもらい

どの様に換金するのか尋ねましたところ トイレの奥から2つ目に入れと言われ

そこから 換金場へ通じていると思いましたが トイレットペーパーの上に

台湾ドルの現金が置いていました。 トイレを出る時 店長がOKかと言われ

OKと返事し パチンコ屋を出て 買ったお金でその社長と飲みに行きました。

翌日代理店の社長に聞いて分かりましたが、換金は日本と違って 

台湾は許可されていないので 日本の様に 外に換金場がないとのことでした。 


この 台湾紀行では 昔の日本が台湾を統治していたこと、

オランダが入り込んでいたこと、蒋介石のこと、台湾人の考え方が 

時代の背景共に書かれており 何度読んでも 勉強になります。



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