先日 大阪の地下道を歩いていると 映画の宣伝があり
満州、ユダヤ人のワードが気になっていました。
おやじが20代で行っていた満州、ユダヤ人のかかわりのある
イスラエルに 私自身が30代で 仕事で出張していたこともあり
早速 初日に 映画を見に行きました。
センポーと呼ばれていた意味が 名前の千=セン 畝=ポーであることが
帰りに嫁さんと話していて やっと分かりました。
内容紹介
今年最高の感動超大作映画を完全ノベライズ
杉原千畝は1900年、岐阜に生まれた。父親からは医者になるよう命じられていたが、語学への志高く、家出同然で上京する。外務省の留学生募集に見事合格、杉原は満洲の地ハルピンでロシア語を学ぶことになる。そのまま彼の地で外交官としてのキャリアをスタートさせた杉原だが、堪能な語学力と独自の情報収集能力でソ連との北満鉄道譲渡の交渉を成功させる。しかしソ連からは「ペルソナ・ノン・グラータ(好ましからざる人物)」とされ、杉原はリトアニア行き命じられる。
リトアニアでも日本政府のために重要な情報収集を続けていた杉原だったが、1939年、ドイツがポーランドへ侵攻を開始し第二次世界大戦が始まると、ナチスの迫害を受けたユタヤ人の人々が、彼のもとへと日本の通過ビザを求めて集まってくる。政府に了承を得ようとする杉原だったが、もはや一刻の猶予もならず、自らの判断でビザを発給することを決意するのだった。
第二次世界大戦開戦直後、、軍靴の響き高鳴るヨーロッパ・リトアニアの地で、ユダヤ難民の人々にビザを発給し続け、6000人の命を救ったとされる日本人外交官、杉原千畝。彼の真実に迫る感動の超大作映画を完全ノベライズ。
【編集担当からのおすすめ情報】
映画の感動をそのままに、さらに詳しい情報も付け加えながら書かれたノベライズ小説です。映画を観た方もこれから鑑賞する方も、さらに楽しめる内容となっています。
内容(「BOOK」データベースより)
第二次世界大戦の開戦直後軍靴の響き高まる東欧リトアニアで、ナチスの迫害から逃れてきたユダヤ難民の人々に自らの判断で二千百三十九枚のビザを発給し、六千人の命を救った日本人外交官・杉原千畝。彼は卓抜した語学力と独自の情報収集能力を駆使し、世界情勢の貴重な情報を発信し続けた優れたインテリジェンス・オフィサーでもあった。政府の意に反してビザを発給した杉原千畝を、戦後、日本の外務省は無視し続けたが、世界は彼の功績を大きく賞賛した。人間・杉原千畝を支えていたものは何だったのか、勇気ある男の感動の真実に迫る超大作映画を完全ノベライズ。
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